茶道日語論文
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要 旨
茶道は中國から日本へ伝えられ、日本の伝統文化と結びついて、日本民族の獨特な気質と風格が備わった。茶道は日本の宗教、芸術、哲學、社會、美學、禮儀、倫理と融合して、総合的な文化となり、日本文化の中でとても重要な地位を佔めている。
茶道についての研究は日本研究のとても重要な分野である。茶道は世界東方の二つの民族の文化交流の結晶で、東方文化の特質をもっている。そのうえ、茶道の研究は東洋文化についての研究と離れられない。本稿は日中茶文化の交流過程、茶道の変遷及び現実生活の中での意義を探求したい。今までの方人々の研究成果を踏まえて、①茶の起源と茶道の発展、②日本茶道、③儒教、道教、仏教と茶道、④現代茶道の意義などを研究した。
茶は薬用、祭祀、食用、飲用から一種の文化となり、物質形態の中から精神の高度を昇華して、中國の儒、道、仏の各派の思想を取込んで、獨特な文化茶道となった。各時代の文人や庶民は茶を飲んで、茶道を提唱していた。
中國の茶は「唐の時代に巻起こって、宋の時代に繁盛する」。この二つの時代は、日本留學僧の派遣の最盛期で、日本茶道が誕生から大成まで中國文化の影響を受けていると言われている。それゆえ、日本茶道は仏教のほかに、中國の儒教や道教の精神も含まれている。日本茶道の「和、敬、清、寂」は中國茶道の「和、靜、怡、真」と共通している。
中國茶道にしても日本茶道にしても環境の靜寂と調和、心の開放と精神の昇華を追求している。よって、茶は人間の生理の需要を満足するほかに、人間の心理的な需要を満足することもできる。現在の社會効用は以下とされている。
①情操を陶冶する。
②人間関系を調和する。
③社會気風を浄化する。
これらはいま茶道についての研究が流行ってきた原因である。茶道を提唱し、これによってそれを発揚して広げにすべきである
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中日茶道の比較研究
はじめに
飲茶については中國では長い歴史と古い記録がある。いつごろからか詳しくは分からないが、ただ大體の時代は言える。いろいろな資料によると 世界中多くの國の飲茶の習慣が確かに中國から伝播した。よって、飲茶の習慣は中國にはじまり、他國の飲茶とお茶を植える習慣も中國から直接、あるいは間接に伝播して行ったと思われる。このことは多くの人が認めている。しかし、中國ではそう思わない人が多い。彼等はお茶を飲むことは中國の習慣でお茶の文化は外國のものだと思っている。特に、今、日本の茶道は特有の伝統、規範そしてその広さで世界の茶文化を主導している。それで、我々は中日の茶文化の異同に関してもっと冷靜で客観的な分析をしなければならないと思う。
1. 茶の起源
中國は茶の木の原産地である。そして、中國は初めて茶の葉を発見、利用して わが國は更に世界の獨特な茶文化を育成した。中國では、茶の葉が初めて四川省の周りから盛んに栽培され、それから東部そして南部に広く伝えられ、さらに全國に伝えられと考えられる。唐代になると、日本の最澄和尚は中國で仏教
を學んでから、茶の種子を持って日本へ帰った。その後、茶の種子が近江***滋賀県***の周りに播かれ、しかも嵯峨天皇の推奨で茶の葉が日本全國で栽培されるようになった。
中國人ではお茶を飲むのは始めは薬用から、後に日常の飲み物になったのである。陸羽の『茶経』はわが國の製茶と飲茶、さらに茶文化の精神的な背景を形成するための基礎を築いた。そして、これは中國の茶文化が薬用から飲用に、「実用」から「精神文化」になることの転換點だと言える。その後、茶と儒教の思想とが本格的な関係を持つようになった。それとともに詩文、書畫、陶磁、工芸に融合された。日本の茶文化の歴史はその逆で「精神文化」から「実用」化されたと言える。飲茶の方式について言えば、中國と日本は全く違う風格がある。中國の飲茶方式は茶の葉の生産技術の進歩とともに、舊法を捨てて新しい方法を採用し続けていることである。一方、日本の茶道にあたる點茶法はわが國の宋の時代のそれが日本中世期の飲茶方式に反映している。よって、時代を離れ、現実から逃避するという特徴には「芸術的な隔離感」というものがあるようだ。
2. 「茶道」の概念
東方文化の中で、「茶道」が非常に重要な構成部分である。実際に「茶道」と言えば、大部分の人は容易に日本を連想すると思われる。実は、中國では、「茶道」と言う言葉を唐代から千年以上を使ってきた。中國人には「道」は完璧な思想學説と考えられ、それを宇宙、人生の掟、規則と見做す。従って、中國人は簡単に「道」という語を言わない。日本のように、お茶には茶道があって、花には華道があって、剣術にも剣道があって、レスリングの組み打ちにさえ柔道がある。ただ、中國では飲食、遊んで諸活動する中で昇華して「道」になったのは茶道だけだ。「茶道」はお茶を仲立ちとして生活する中での儀禮なので、精神修養の一種の方式だとも思われる。それは茶を入れること、評価すること、そして飲茶することを通して、友情を増進し、審美の心をも修得することは、禮儀作法を學ぶ上で、とても役立つ一種のむつまじくして楽しい儀式となったと思う。しかし、茶道の精神はいち早く中國に起った。中國人は少なくとも唐あるいはそれ前に世界でまず一種の精神修養の道としてお茶を飲んでいる。唐の『封氏聞見記』の中に「茶道」と言う言葉の記録があって、これは茶道に関する文獻として一番早い現存する記録である。日本では、千利休が日本の茶道の師匠になった後に、やっと「茶道」というこの旗を高く掲げ、そして茶道を4規則に総括する。即ち、「和、敬、清、寂」である。明らかに、この基本理論は中國の茶道の精髄の影響を受けたもので、その主要な修養日程の骨組みは依然として中國に源を発する。
周文棠談喝茶